2013年12月2日月曜日

落穂拾い

落穂拾いという絵を見たことがあると思います。教科書にも乗るレベルのミレーの代表的な絵です。
ミレー(Jean-François Millet, 1814-1875)はフランスの画家で農村の生活を描いた画家です。来年生誕200周年です。日本語では同じミレーという表記のイギリスの画家(Sir John Evelett Millais)もいますが別人です。


Q1.この絵で拾っているものはなんでしょう?
A.落ちている麦穂
B.落ちている藁
C.落としもの

Q2.この人たちは誰ですか?
A.農家で畑の持ち主
B.農家で働く奴隷
C.貧しい人

Q3.落穂拾いの意味するところは?
A.収穫として最後まで残らず丁寧に落穂を拾っている
B.邪魔な落穂を拾って片づけている
C.食べるために余った落穂を拾っている


この問題、わかりますか?

もしかすると、「農夫の奥さんたちが頑張って最後まで大事に綺麗に拾っている」と思っている人もいるのではないでしょうか。日本的美徳からするとありがちな考えですが、子供のころの僕はこれでした。つまりQ1→A/C、Q2→A、Q3→Aということになると思います。
落ち葉を拾っているんじゃないんですよ。
落ち穂です。「落ち穂」が重要なんです。



ググって調べればわかると思いますが、
正解は
Q1がA
Q2はC
Q2はC
です。
おそらく、多くの日本人は知らないのではないかと思いますが、聖書の中にこんな節があります。

あなたがたの地の実のりを刈り入れるときは、畑のすみずみまで刈りつくしてはならない。またあなたの刈入れの落ち穂を拾ってはならない。あなたのぶどう畑の実を取りつくしてはならない。またあなたのぶどう畑に落ちた実を拾ってはならない。貧しい者と寄留者とのために、これを残しておかなければならない。わたしはあなたがたの神、主である
レビ記19章9節

貧しい人のために穂を残しておかなくてはならないわけで、それを落穂と言います。畑の所有者が拾うことはありません。
それが、この絵の描かれた世界での常識でした。それを知っているのと知らないのとではこの絵の意味も受ける印象も異なります。おそらく見ている場所も変わってくるでしょう。


更に言うとこの落穂を拾っている貧しい人達に対する気持ちも好意的です。
ダビデ王の祖母ルツも寡婦となり落穂を拾っていたと聖書に書かれています。ちなみにその落穂を拾っていた畑がボアズというダビデ王の祖父です。
ダビデ王というのは紀元前1000年あたりの話で、イスラエルの人達には尊敬されている王です。
そもそも、この落穂制度が無ければ二人は出会うこともなく後のダビデ王も生まれなかったかもし れません。
と考えるとこの絵はルツ、オルバ(兄嫁)、ナオミ(義理の母)、に見えてきます。実際そのつもりで書いたかどうかは不明です。
このあたりの詳しい話は聖書ルツ記を参照ください。



ともかく、持っている世界観によってこの絵の見方が変わり、思い入れも変わってしまいます。
きっと、見ている時間や視線、表情、そんなところに違いが出てくるかもしれない。
そう思ったのが研究の始まりです。




0 件のコメント:

コメントを投稿